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月曜から夜ふかしで紹介 下田立野の正月に餅を食べてはいけない集落問題

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下田市立野地区では正月三が日には餅を食べない 下田市立野地区では正月三が日には餅を食べてはいけないとされる。この禁を破り餅を食べると火事に遭い、箪笥から火が出るという。 立野地区は下田市蓮台寺温泉の入口から稲生川が大曲りして囲んでいる中の瀬にある。 この地域の氏神様は子供の神様で、むかし氏神様が元日の朝お雑煮の餅がのどにつかえて亡くなられたというので、それ以来この部落の人達はお正月の餅を食べない事になった。 禁を破ると必ず「火ごと」に祟りにあう 立野の駐在所に転勤して来た巡査は始めてのお正月に「そんな馬鹿なことがあるものか。それに自分は他所から来たものだからかまわない」といって近所の人や家の者のとめるのもきかずお雑煮を食べた。2~3日して奥様が箪笥を開けてみると、中の巡査の服だけがあちらこちら焼けこげて着られないようになっていた。 そのため「氏神様のたたりだ。禁を破った罰だ」とうわさされた。その外にも「そんな馬鹿な事はない。」と強がりを言って餅をたべた者もあったが、その人のものに限って火のたたりがあったという話が残っている。 今でも立野の部落に住む人達はこのきまりを守っている。 月曜から夜ふかしで取り上げられる 静岡県・正月に餅を食べてはいけない集落問題という題で紹介される。立野地区では正月に餅を食べると神様に家を焼かれるという言い伝えが残っている。どこまでがOKでどこからがNGかを歴代地区長が検証。“もち米”は口の中で餅になるからNG。“米粉パン”はパンなのでセーフ。“餅太郎”は餅つきのイラストが描かれてるため今後の議題になった。 やおきんHPより

新城島のザン(ジュゴン)神社・頭骨を持ち出した者は発狂する

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新城島のザン(ジュゴン)神社・頭骨を持ち出した者は発狂する 新城島は沖縄県の八重山郡竹富町にある、上地島と下地島の2島から成る島である。 人口10人程度のこの島に、立ち入ると災いが降りかかると云われる東御嶽(アーリィウタキ)、通称ザン(ジュゴン)神社または人魚神社がある。 鳥居の奥へは関係者以外は立ち入り禁止、カメラによる敷地内の撮影も禁止されており、鳥居の横に「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」の看板がある。 祟りの源泉・ザンの頭骨 [霊薬・ジュゴンの肉] 上地島と下地島の2島から成る新城島。 1778年(明和8年)に起こった「明和の大津波」で、1つの島が2つに離れたと言われており、両島が離れているゆえに地元では通称「パナリ」と呼ばれる。 その昔は、新城島の周辺海域にはジュゴン(八重山での呼び名は「ザン」)が生息していた。 人魚と同一視されていたジュゴンの肉は不老不死や安産の霊薬と珍重されて、琉球王府時代には新城島の住人はジュゴンを塩漬けや干し肉を人頭税として納めていた。 捕獲したジュゴンは、皮と肉は煮て日光にさらし、王に献上、そして頭蓋骨など骨は東御嶽、通称ザン神社に祭ったという。 ザン神社の入り口・これより先は立ち入りも撮影も禁止(Wikipedeiaより) [乱獲によるジュゴンの減少と豊漁への祈り] ジュゴンは権力者に献上される特別な食料であり、首里城発掘調査からその骨が発見されている。終戦後の食糧難の時期にダイナマイト漁などで乱獲されて、もともと数が少なかったジュゴンは今では姿を消してしまった。 琉球王朝時代、ジュゴンの肉は人頭税であったので、その捕獲に島民は必死になっていた。毎年多くの人手と時間を掛けてジュゴン漁を行っていたのであるが、それほど生息数は多くないので捕獲には苦心したという。 そして、ジュゴンは津波を引き起こす、もしくは津波の到来を予言する霊魚とも考えられていたので、その祟りの防止と豊漁を祈願して骨を島の東御嶽に奉ったということだ。 東御嶽での祭りは島民、その中でも本土の神職にあたる神人(かみんちゅ)が執り行い、一般の島民も聖地と考えられている場所には立ち入れないという。 当時の八重山地方の人々への人頭税の負担は相当厳しく、税の負担を逃れるために、あえて自分の手足を切る者や、妊婦殺しや赤子殺しのようなことが行われていた。 薩摩藩から

古都の不思議 ~キツネ顔の人々

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  京都のとある歓楽街の話です。 京都の道は、碁盤の様に形成されているのはご存知ですか?K 町とP町の間にも無数の路地があります。 人通りが多い道もあれば少ない道もあるのですが、ある日飲み屋の客引きが仕事をサボろうと、普段は通らない細い路地を歩いていました。 K町からP町方面に向いていたのですが路地を抜けるとそこは、テレビでしか見たことのないボロボロの平家と丁髷で着物を着た人がちらほら歩いていました。 最初はテレビの撮影かと思いましたが、カメラや照明などの機材がありません。そこで歩いている一人に話かけてみると時代劇の様な話かたです。 何故か急に怖くなって話を早めに切り上げて来た道を戻っていました、するとさっきまで話をしていた人がまるで狐の様な形相で四つん這いになって走って来たのです! 捕まっては、堪らないと客引きも無我夢中で必死に走り気が付いた時には見慣れたK町に出ていました。 それからその客引きは、P町には一切立ち寄らなくなったそうです。

芦ノ湖レジデンス

  ①私の母校である東京にある某私立学校にまつわる話。 芦ノ湖には合宿用レジデンスがあり、毎年三回以上合宿させられるのだが、約四階建ての建物なのになぜか二階から上の階層しか使用しない。 噂では理由はいくつか存在するのだが一番有力な話は、ある教職者が一階で首吊り自殺したという話。 以来一階は寒気がしたりポルターガイストが起こるとか言われて誰一人からも使われていないらしい。最も管理人も何も言わないし実際の体験者はいないらしい。 ②私の東京私立の母校にも芦ノ湖レジデンスがあり合宿用と一般生徒用のレジデンスがあります。 一番の噂はそこは元は首切り場だったという事です。 これは先生すら何かあると認めていました。生徒は必ず一度は泊まりに行きます。 発狂する生徒が出る程です。 一番出ると言われていたのが先生が寝泊まりする部屋で、運ばれた先生は、うなされて男の声でぶつぶつ言い始め、起こしても起きなかったそうです。 あと合宿用の建物の一階で夜中に誰もいないハズの二階から走る音やベッドから飛び降りる音がすると言っていたのは本当に先生でした。 この話を母校の方が見ればピンとくるハズです。それほど母校では有名なのです。ちなみに制服は裏にして掛けろと指示が生徒全員に出されます。 それは表にかけると首が付くという噂もありますが、これは噂です。 ③芦ノ湖レジデンスの通称『兵隊さん』と呼ばれる噂では、合宿所が建つ以前この場所は軍隊の養成所だった。 しかしその当時はもちろん戦前、養成所内では教官による虐待が激しく、そのせいで多くの兵隊が亡くなったという。 そして合宿所で窓側に足を出したまま寝ると『兵隊さん』に連れ去られるという噂。ちなみにこれも体験者はなく確証は無いが・・・・

軍関係の鳥居

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  英霊や従軍時に亡くなられた方々を祀る神社の鳥居にまつわる噂。 青銅製第二鳥居 靖国神社の第一鳥居は当初 1921 年に建てられたが、老朽化が進んだことにより大戦中に撤去。物資の不足により金属製鳥居の再建は叶わず、木造の仮鳥居を建てる。 現在の大鳥居が建てられたのは 1974 年。元軍人や英霊の遺族など軍関係者の個人寄付により日本最大級の規模での再建が叶う。鉄を主体とする耐食に優れた合金が外面を覆い、柱の内部には強度を増すためにコンクリートが充填されている。 この第一鳥居であるが、噂によると金属部分は大戦中に作られた砲弾が原材料となっていると言われる。 第一鳥居 靖国神社の第二鳥居は 1887 年(明治 20 年)に大阪砲兵工廠で鋳造されたもので、青銅製の鳥居としては日本一の大きさを誇っている。大阪砲兵工廠は当時トップクラスの技術を有するアジア最大の軍事工場として、火砲を主体する兵器の製造や様々な金属製品の製造を担たった。 継ぎ目のない青銅製の第二鳥居の製造には大阪砲兵工廠の高度な技術が使われている。   明治大学生田校舎は生物化学兵器の開発や偽札の製造にあたった陸軍登戸研究所跡に所在しており、校舎へと続く生田坂を登ってすぐの所に弥心神社がある。 弥心神社は登戸研究所時代に実験中の事故で亡くなった所員の霊を祀るため、東京の陸軍科学研究所 内の神社より分祀された。   この神社の鳥居は黒茶色に近い色をしており、通称『黒鳥居』とも呼ばれている。キャンパスでは軍服を着た幽霊を見たと言った怪談話が伝わっているためか、鳥居が黒い理由は亡霊を封じるためと噂される。 軍関係の鳥居は朱色ではなく黒っぽい理由であるが、殉職者を祀っていることを象徴するために、軍人の墓標として大砲をイメージしているためと考えられる。 大砲は軍人のモニュメントとしての意味合いが合って、明治大正期には軍人のお墓のデザインとして本物の大砲が使用されたり、砲弾型の墓碑が建てられたりしていた。 靖国神社の第一鳥居に砲弾が使われているという噂からも、軍関係の鳥居は英霊を祀る墓標として火砲をシンボライズしている。

下着姿の女幽霊(千葉県野田市の金野井大橋)

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  千葉県野田市の金野井大橋で目撃されていた半裸の女幽霊の話。 千葉日報に「霧の夜、橋の上に若い女の霊が出る」という記事が載りました。 埼玉在住の会社員の武田さんは友人らと国道16号を南房方向に走っていました。 深夜二時過ぎに金野井大橋を通ったとき、橋の上で下着姿の若い女性が立っているのを目撃しました。 飛び込み自殺でもされては大変だということで、車から降りて声を掛けようとしましたが、下着姿の女性は武田さんらの前から忽然と消してしまいました。 武田さんら千葉県警柏署に行き、今見たことを警察官に話しました。 柏署は所轄の野田署に「金野井大橋の上にいた20~30歳くらいの若い女性が急に消えてしまった。川に飛び込んだ疑いもある」という連絡して、捜査を依頼。 警察官が駆けつけて金野井大橋で捜査をするも、女性の姿はありませんでした。 金野井大橋の若い女性に関する警察への届けは、武田さんらの通報で4回目とのことで、他にも下着姿の若い女性を見たという目撃情報が多数あったそうです。 金野井大橋に現れる女性はブラジャーをしていない時もあって、車のヘッドライトに照らされると恥ずかしそうに乳房を隠したと言います。 真相は不明ですが、この下着姿の女性は幽霊ではなくて、金野井大橋の近所に住むちょっと変わった女性であったという説もあります。

疣神様

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  疣(イボ)の治療にご利益がある御神石は全国各地に存在し、疣神様の名で現在も信仰を集めている。 疣神様はときに大木のケースもあるが、多くの場合は巨大な岩で、岩のくぼみに溜まった水をイボに付けると治癒の効果があると云われている。 不思議なことにくぼみに溜まる水は年中枯れることが無いという。そして地域によって疣取りの作法は異なっていて、某所では霊水を付けたら疣神様が視界に入らなくなるまで振り返ってはいけないという仕来たりまで設けられている。 疣神様のところから石を借りて来て疣を撫でる場合には、治癒した後に石を返さないとイケない。もし返し損ねると撫でた箇所に倍の疣ができるという話もある。 四国某所では疣の治癒後に、川原で表面がすべすべした石を拾い、感謝の心を持ってお返しするのが作法となっている。 現代は医療が発達しているので普通の疣(イボ)であれば治療に難儀することもないが、ハイリスク型のヒトパピローマウイルスによって生じる疣の中には子宮頚癌へと進行するモノもあり、決して甘くは見れない。 そして、疣を作るウイルスと咽頭ガンの関連も疑われており、オーラルセックスで性器から咽頭・口腔にウイルスが感染して癌の原因となっているという見方もある。 現在、性行為の低年齢化と避妊具を使用しない性交によって若い女性の婦人病が増加傾向にあるというが、その陰には疣の存在があるといってよいだろう。 そのウイルスは男性器の恥垢に潜むと云われ、避妊具を使用しない直接接触によって感染する。 ウイルスのワクチンも全年代に広く普及されているとは言い難いので、世相的には疣神様のご利益に頼る意義は大きいのではないだろか。

東京ミッドタウンの怪現象

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  東京ミッドタウンでお勤めする方々は、月に二回の決まった日に、鎮魂用の神棚に拝礼を行う慣習がある。 神棚は高層階と地下4階に設置されている。 地下4階は霊が吹き溜まっていると噂されていて、地階に神棚を設置したのには心霊現象を抑える意味合いが強く、地下4階では人影を見たり、薄ら寒い気配を感じる人も居る。 この高層ビルは毛利家の下屋敷跡に建つことで知られ、調査では地鎮祭に使用されたと思われる古銭や土器が発掘されている。 一見すると江戸時代のお屋敷があったことが神棚の設置と関係しているようにも取れるが、陸軍駐屯地時代と防衛庁舎時代に因縁深いようである。 毛利家のお屋敷から陸軍駐屯地へと変貌を遂げた明治時代、他の軍事施設と同様に幽霊話があって、軍隊生活で精神を病んで自殺した者の心霊話が語られていた。 その後、米軍将校宿舎を経て防衛庁舎が置かれたのだが、庁舎時代にも自殺が多くあって、役人が高階から投身する事件が絶えなかったといわれる。 『 役人が降って来るから建物の近くは歩くな 』というが当時言われていた。 隣接している檜町公園の池も心霊現象の発生と関わりが深く、米軍将校宿舎時代には日本人メイドと米兵の心中事件があり、池にはメイドさんの幽霊が出るという話があった。 池の中島には江戸時代から祠があって、神様が祀られていたのだが、米軍将校宿舎建設の際に無残にも取り壊されてしまっている。ミッドタウンに設置された神棚には、祠に代わって土地を鎮める機能を期待しているのだろう。 ミッドタウンがある旧檜町駐屯地は歴史的に因縁深い土地と言える。近代的なビルディング群に変貌した今も、土地の因縁は健在の様子である。

鳥取砂丘で見つかった白骨遺体

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 鳥取砂丘にて、白骨化した遺体が4つ出てきたという事件が2011年に報道されたかと思います。 実はこの鳥取砂丘、深夜に訪れると、砂から何本もの手が現れて、おいでおいでをする…という話があり、地元では知る人ぞ知るちょっとした心霊スポットとなっていました。 私は知人と何度か足を運びましたが、幸か不幸か見たことはありません。 ただ、実際に見た!という人間はコミュニティサイトなどでちょこちょこいらっしゃったようです。 さて、何が怖いのか…? というのが、遺体が発見されたその場所というのが、夜中に手が現れるという場所とピタリと一致しているらしいのです。 死者達が自分を見つけて欲しくて、生きてる人間に助けを求めていたのか…。 それとも、道連れにしてやろうと砂中から手を伸ばしたのか…。 幸い、この手による犠牲者は私が調べた限りではいないようです。4つの内の誰かが犠牲者でないとすれば…ですが。 鳥取砂丘で人骨4体見つかる 深さ30~40センチに縦一列  30日午後3時10分ごろ、鳥取市の鳥取砂丘の砂の中に、人骨ほぼ4体分が埋まっているのが見つかった。鳥取署が遺体の身元などを調べている。  同署によると、完全に白骨化しており、風化が進んでいる。性別は不明で、成人とみられる。4体は深さ30~40センチの砂の中に、すべて頭を西に向け、縦一列に数十センチの間隔をおいて並んで埋まっていた。それぞれの足元には木片があった。衣服は見つかっていない。  鳥取市の男性(64)が約1週間前、動植物の観察をしていた際に見つけ、30日に「人骨のようなものがある」と鳥取県砂丘事務所に届け出た。」 共同通信より

東京駅地下のマッサージ店

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  実体験ですが、僕が東京に初めて上京した時の話です。 東京の仕事に疲れていたその頃の僕は、毎月マッサージ店に行くのが趣味でした。 しかし、行きつけのマッサージ店が なかなか 見つからず、その日も東京駅の地下をフラフラしていると、あるマッサージ店が目にとまり何となく入る事にしました。その店はアロマのいい香りがしたのを覚えています。 中に入ると芸能人の安倍なつみ似の若い女性にコースを説明され、一万五千円の割と高めのマッサージを受けました。 マッサージ中にその女性が僕に語りました。 『 私に願い事を言うと叶うと評判なんです。 』 『 じゃあ君の メールアドレス を教えて (笑)』と冗談交じりでお願いしてみました。 本当の願い事の方は半信半疑だったので、“一ヶ月の給料五十万は稼ぎたいなぁ”とぽつりと言ったのです。。。 その願い事ですが、驚くことに三ヶ月もしないうちに叶ってしまい、翌年は年収七百万以上になったのです。 あれから十年が経ちましたが、今も東京駅の地下にマッサージ店があればまた行きたいですね。。。

渤海国と秋田美人の噂

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  8~10世紀にロシア沿岸州から中国の東北部辺りにかけて栄え、狩猟異民族に滅ぼされた海東の盛国こと、渤海国は当時日本とも交易を盛んに行っていた。 秋田美人とは? 国が滅びるまでの間、数十回に亘って使者が行き来しており、当時の外国文化の多くは渤海国から伝わった。 渤海国からは 当時貴重品であった豹や虎の毛皮や西方から伝わる陶器、薬用人参、そして蜂蜜などを輸入していた。 渤海との交易では日本海側の航海ルートが多く使われていたため、初期の渤海国の使者は出羽国(現在の秋田県)に辿りつくことが多かった。 また、 渤海国と日本は民間レベルの交易も盛んであったようで、記録に残っていない人の行き来が多くあって、その交易の中心地は出羽国などの日本海側の東北地域であったと考えられている。 この渤海国と秋田との関わりから派生したのが秋田美人のルーツにまつわる話である。 秋田美人の特徴として色白、 長身 、瓜実顔がよく言われるがこれは 北方 大陸系 アジア人の特徴と一致しており、秋田美人の形成には渤海人が関わっているのではないかと言われている。 実際のところ、 渤海人の中には日本に永住する者も居り、一説には国が滅んだために帰れなくなったという話もある。 現在も渤海国から日本に移り住んだ人々の血は脈々と受け継がれていて、ご子孫は日本にご健在である。 ご子孫の出自に関する話が一族に受け継がれているそうで、ご先祖は渤海国から海を渡って来たとされている。そして、渤海国は養蜂が盛んな国であったので、先祖代々伝わる蜜壺は家宝となっているそうだ。 そのご子孫の方は日本海側の某県のご出身ということで、秋田美人と渤海国との関連はあながち間違いではないのかも知れない。

琵琶湖の落ち武者

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  琵琶湖の湖底には戦国時代の武士、果ては平安時代の貴人の遺体までが腐敗することなく沈んでいるといわれる。 特に竹生島の周辺では鎧兜を身につけた武者の遺体が湖面に近くまで浮き上がってくると云われており、琵琶湖の漁師は 竹生島沖に 網を仕掛けることをタブー視している。 竹生島沖は最も水深が深く、その湖底付近は 琵琶湖の中でも 特に水温が低くなっている。 湖に沈んだ遺体は 非常に冷たい水によって脂肪部分が 死蝋化して、 腐敗することなく悠久の時間を湖底で漂うことになる 。 姉川の戦いの戦死者や 、賤ヶ岳の戦いの落ち武者が琵琶湖に多く沈んだといわれているが、そういった鎧武者の遺体は竹生島の周辺に集まり、ときに 何かの拍子で湖面付近まで浮かび上がって来ることがあるそうだ。 琵琶湖の漁師が死蝋化した鎧武者を引き揚げたことがあるそうだが、実際に 琵琶湖で発見された身元不明の遺体が死蝋化していたという事例が報告されており、まったくありえない話ではない。 死蝋化した遺体は時に2000年以上も状態良く保存されることがあって、デンマ―クの泥炭地から発見されたトローマンと呼ばれる死蝋化した男性は 起源前4世紀の遺体と推定されている。

スペースマウンテンとマフラー

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  事故が多い スペースマウンテン TDLのアトラクションの中でも事故が多い スペースマウンテン。このローラーコースターでは過去に数件の死亡事故が起きているとされます。 スペースマウンテンで起きた 事故の中で死因が明らかにされていないケースが存在し、その原因として噂されているのがロングマフラーによる事故です。 暗闇の中で入り組んだ コースを猛スピードで駆け抜けて、 鉄柱や壁にぶつかってしまうのでは?と思わせる恐怖感が このアトラクションの醍醐味です。 しかし、スリルを感じるように計算された入り組んだアトラクションの構造に問題がありました。 奇しくも事故に遭ったお客さんはロングマフラーを巻いて乗車しており、入り組んだコースを進む最中に、構造物にマフラーが絡まってしまったのです。 そして終着点で同乗者と係員が見たものは変わり果てた乗客の姿であったといいます。 ロングマフラーが女子高生 スペースマウンテンとマフラーの話は女子高生の間でロングマフラーが流行った頃にTDLの恐ろしい噂として広まりました。 死因が明らかにされていない スペースマウンテンの 事故は、ロングマフラーが女子高生の間で流行した時期よりも以前に起きていますが、事故当時もビックストールが流行していた時期と一致しており、あながち単なる噂話とは言い切れません。 ちなみに協賛企業の社員は役職を示す名刺と社員証を提示することで、ある程度の裏側を見学できるらしく、 スペースマウンテンの 裏側を見たという人が存在します。さすが魔除けのお札は貼られていなかったそうですが、暗闇で見えない部分の内装は配線がむき出しであったとのことです。

摩周湖の都市伝説

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  摩周湖には巨大ザリガニが棲んでいて、 驚くことにその大きさは全長で1メートル近くもあるという。 摩周湖での生物の採取には特別な許可が必要で、自然保護の観点から 湖岸に立ち入ることも 厳しく制限されている。 巨大ザリガニはいずれも密漁によって採られており、学識者が若い頃にマス捕獲用の底刺網に偶然絡まった巨大個体を目撃しており、その様子を文献に記載している。 その巨大ザリガニの大きさは背中長で30cm程度、全長で1m程度はあろうかという巨大なものであった。 摩周湖では1930年にウチダザリガニが魚のエサとして放流されて定着している。北海道の河川で採れるウチダザリガニは最大でも15cm程の 全長で しかないので、摩周湖の巨大ザリガニがいかに巨大かが分かる。 過去に巨大ザリガニを見た学識者らが1991年に摩周湖での捕獲調査が行ったが、残念ながら巨大な個体は捕獲されず、最大で背中長が6cm弱のウチダザリガニしか採れなかった。 摩周湖のもう一つの噂として、展望台から心霊写真が撮れるというものがある。 観光客は 展望台から摩周湖を望めて記念写真を撮る訳だが、ときどき変なものが写るという。 なにが写るのかというと、鏡のようにきれいな湖面に眼鏡を掛けた男の顔が映るというのだ。 摩周湖で撮れる心霊写真は決まって眼鏡の男で、時に湖面を埋め付くように沢山の顔が写ることもあるという。 摩周湖と眼鏡の男の間にどういった因縁があるのかは不明である。

沖縄の人魚

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  ある女性が沖縄へと一人旅に出た。 梅雨前の沖縄は日差しもさほど強くなくとても過ごしやすい。女性は自由気ままに旅行したいと思い 、特にプランは立てず行き先 はタクシー運転手に任せることにした。 タクシーを利用するのは運転手さんにお勧めの観光スポットや穴場を教えてもらうという狙いがあって、やはり地元人は観光ブックに載らないような面白い場所を知っている。 その日も運転手さんオススメの観光スポットに行くためにタクシーに乗車していた。 道中暇なので、女性は何気なく「なにか面白い話はありますか?」と運転手さんに尋ねた。 すると運転手さんは「ありますよ」と、沖縄の海に纏わる不思議な話を語ってくれた・・・・・・・ 運転手さんの趣味はスキューバダイビングで、休日は沖縄のきれいな海に潜るのを楽しみにしている。 そんな運転手さんが1年に一度だけ行く秘密の場所があって、そこには人魚が住んでいると言う。 人魚というのは童話や伝説に登場し、上半身は人間で下半身は魚というあの人魚である。 スキューバダイビング中に偶然見つけたその秘密の海域には二人の人魚が住んでいると言うのだ。 人魚が住むのは無論海の中なので、酸素ボンベを背負って行くのかと思いきや、潜水装備は一切付けない。海に潜るのに、ダイビング器材を装備する必要がないのだ。 不思議なことにその海域では水中であるにも関わらず、地上と同様に呼吸ができるという。 運転手さん はその不思議な海域で二人の人魚と 1日中 戯れる。 運転手さんの話からすると、どうやら人魚は人語を理解し話せるらしく、二人というからどうも男女の人魚らしい。 水中で呼吸ができる不思議な海域で1日中遊んで、さて地上に帰ろうという際には必ず人魚達からお土産を持っていくように勧められるという。 しかし、人魚からお土産をもらった者に良いことが起こることはあまりなく、むしろ悪いことが起こると聞いているので、お土産は受け取らず地上に帰って来るという話だ。 ・・・・ここまで話を聞いた女性は運転手さんの冗談だと思い、からかわないで下さい笑った。しかし、運転手さんは断じてふざけてなどはなく、本当の話だと繰り返し主張した。 では、その場所はどこかと運転手さんに尋ねたところ、それは絶対に教えられないと言うのだ。 人魚の詳細な容姿やなぜ年に一度しか会いに行かないのか?など多くの謎は残るが、運転手さん

雪山の二人

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  冬山登山で山に入ったカップルが下山して来ないという通報があった。 大規模な捜索が開始され、捜索隊が 発見したときには二人寄り添う形で冷たくなっていた。 山から運び出された二人の遺体は安置所へと運搬するため、待機していた救急車に乗せられた。 ・・・・ 運搬中の救急車内でのこと、衣擦れのような物音が遺体の方から聞こえて来る。 気になった救急隊員は車を停めて、遺体がある後部席を覗き込んだ。 すると遺体を固定するバンドが外れており、二人の遺体は手を繋ぐ形で固まっていたのだった。 バンドが外れて偶然に手が絡まったのだろうか・・・・ 再び二人の遺体をベットに固定して車を走らせた。 安置所に到着して、さて遺体を降ろそうかという時のこと、二人の遺体はまたもや手を繋いでいる。 お互いの腕を一本づつ出し合う形でしっかりと手が繋がれていて、やはり固定バンドは外れていた。 このままでは上手く運べないので、二人の手を離そうと試みたが、今度はがっちりと繋がれていてなかなか離れない。 力任せに引っ張れば二人の手を解くことが出来た。しかし、死後も寄り添いたいと願うカップルの気持ちを酌んだ救急隊員は、手は繋がれたままで二人の遺体を安置したのだった。

旧道庁の心霊写真

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  北海道開拓史を象徴する 北海道庁旧本庁舎、通称『 赤レンガ 』を正面から撮影すると心霊写真が撮れるという噂がある。 幽霊が写ると噂されるのは 2階の 窓部分で、心霊写真が撮れた場合には窓枠いっぱいに大きな顔が写り込む。 普通の人間の顔とは明らかにサイズが違うので、人が窓際に立っているのではないことが一目で分かる。 その大きな顔はひげが仙人のように長い男性で、 現代人とは どうも風貌が 異なっており、 開拓時代の人間の霊ではないかと思われる。

東京都町田の宇宙人

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  ミッツ・マングローブ氏のテレビ出演時の発言によると、東京都町田駅周辺には宇宙人が現れるという。 ミッツ氏が宇宙人を目撃したのはJR町田駅から小田急町田駅を繋ぐデッキで、始発電車が動き出す早朝5時ころに中年の男女の姿で歩いているという。 ミッツ氏が高校生の時分、朝まで遊んで町田経由で帰宅するときに、おびただしい数の中年の男女の群れに出くわすことがあった。 中年の男女は一見すると普通の人間のようだが、感覚として人間ではないことが分かるそうで、中に宇宙人が入っているとミッツ氏は感じている。 通勤の途中にしては服装がおかしく、手ぶらだったりビニール袋を提げている点も、不自然な点として挙げている。 宇宙人と思われる中年の男女の集団は、デッキのマルイ付近からファーストフード店の方向へスーッと消えて行くという。

死出の遍路

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  弘法大師に縁のある四国八十八箇所札所巡り、遍路に纏わるお話。 とある青年が遍路道の難所付近に建つ、とあるホテルに宿泊していた時のことである。 深夜に突然目が覚めて、何者かの強い気配を感じた。 霊感がある彼は、入口から部屋の中に何人かの霊が入って来たのが分かった。 気にしないように目を瞑っていると、左手が急に重くなり、数人の人間にすがりつかれるような感覚を覚えた。 そして 「お願いします」 絞り出すような声が聞こえたらと思ったら、次の瞬間にはふっと左手が軽くなっていた。 実家に帰って四国での体験を祖母に話すと、 「お大師様の念珠のせいだねえ」とお遍路さんに纏わる悲しい話を教えてくれた。 昔は、死期が近い人や労働力として見なされなくなったご老人を遍路に出して、口減らしをしていたとのことだった。 彼の左手首には祖母からもらったお大師様の腕輪念珠がお守りとして着けられていたので、行き倒れて亡くなったお遍路さんが左手のお大師様に助けを求めてすがって来たのだろうと教えてくれた。 映画の題材、自分を見つめ直す機会として政治家や芸能人が遍路巡りをしたことでも注目を集めた。 お遍路のスタイルは様々で、長期休暇を取っての歩き遍路だったり、学生が夏季休暇で自転車で巡ったり。 現代における遍路をする目的は 願掛けや内省など、生きることに前向きな意味合いで捉えられているが、近代以前はお大師様に付き添われての“あの世への旅立ち”という意味合いもあった。 不治の病を抱えた人や体の自由が利かなくなったご老人が、家族の負担を減らすために今生の別れをして遍路に出たということである。 そういった事情で、遍路の最中に行き倒れて亡くなった方は数知れず。遍路で霊的な体験をしても何ら不思議は無い。 行き倒れたお遍路さんが多く埋葬されたと云う、とある難所では、助けを求めてすがりついて来る幽霊の話が伝わっている。

小峰峠の少女

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  大学生の男女が深夜にドライブをしていました。 車を走らせて、とある峠に差し掛かったときのことです。道路のど真ん中に誰かが立っているのを発見しました。 急ブレーキを掛けてかけて車を止めると、ヘッドライトに照らし出されたのは、幼い女の子でした。 「助けて!!!」 少女は泣きながら車に駆け寄って来て、車体をドンドンと叩きます。 “ こんな真夜中に女の子がいる訳がない!! 幽霊だ!! ” 恐ろしくなった 大学生たちは 少女から急いで逃げ出してしまいました。 車の中では幽霊を見てしまったという話題で持ちきりになり、みんな怖くなったので早々に解散することにしました。 そして大学生たちは後日、その峠が連続幼女殺害事件の殺害現場となっていること、トンネル上の雑木林で女の子が遺棄されていたことをニュースで知りました。 あのとき現れた女の子は幽霊なんかではなく、殺人鬼の魔の手から逃れようとしていた事件の被害者だったのです。。。。 この話の舞台は小峰峠と云われています。 事件後には、犯人の手から逃げる少女の声を聞いたという証言者が現れたり、旧小峰トンネルでは手首から先が無い女の子の霊を見たという怖い噂が出てきました。 そして今でも、助けを求める少女の声が聞こえると云われます。