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兵庫県尼崎市の某私鉄T駅 ~お菓子の匂いが自殺を誘発!?

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兵庫県尼崎市の某私鉄T駅では、よく人身事故が起こります。 特急が通過するときにホームに飛び降り、通過し終わると肉片が飛び散っています。   T駅ではときどきケーキの箱(近くにある不〇家の)を持った人がいきなり自殺して、通勤客はびっくりするそうです。 不〇家の箱を持った人が笑いながら飛び降りるのです。そして自殺者は大抵、近くの大手電機メーカーM社の社員とのことです。 家族へのお土産のケーキを持ったおっちゃんが電車に飛び込むというのは不可思議ですが、この駅ではまれにあるそうです。 何でも、お土産のケーキの匂いが飛び込み自殺を引き起こしているそうです。 T駅の近くにはM製菓の工場があって、駅の周辺には甘い匂いが漂っています。会社に疲れた駅の利用者は通勤の度にこの匂いを嗅ぐので、甘い匂いで憂鬱になるそうです。 身も心も疲れた会社員は甘い匂いにつられてフラっと特急電車に飛び込んでしまうそうです。 駅の近くにはお地蔵様が立っていて、ダ〇エーがあります。

警察官の採用試験・刺青はダメ

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  刺青をしている人は警察官に採用されないという噂。 警察官採用試験で筆記の一次試験をパスし、二次試験に進むと面接および体力検査がある。男子の体力検査の最後には上半身は裸、下半身はパンツ一丁で受けさせられる身体検査がある。 表向きは関節の可動状況を調べることになっているが、服を脱がせて検査するのには刺青をしていないかのチェックが含まれている。 大股を開いて行う運動や開脚屈伸時には、股間付近のきわどい部分も実はチェックされていて、検査でもしも刺青が見つかればその人は不合格となってしまう。 この試験風景は隠し撮りによって録画されている場合があるらしく、裸体で行う身体検査を含む映像がどのように使われているのか気に掛かるところである。 警察官採用試験の都市伝説として、刺青の他に有名な話が赤旗購読者の噂である。一昔前の噂では、家族に共産党の関係者や赤旗新聞の購読者がいると警察官採用試験には必ず落ちるということが云われていた。 日本共産党は公安調査庁の監視団体の一つであり、党が発行する赤旗新聞の購読者リストを公安が握っているので、購読者は採用試験で落ちるというのである。 身内に赤旗購読者がいる人物を警察官に採用して、もし何か不祥事を起した場合には採用した人間の責務が特別重く問われた時代があったらしく、面接官は保身のために購読者家庭の受験者を敬遠せざるを得ない事情があったそうだ。 身内に赤旗購読者がいると100%落ちるという訳ではないが、採用側の諸事情により敬遠されることがあったのは本当のようだ。

裸のブランコ

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 過去にアイドルグループSのKさんが東京ミッドタウンに隣接する檜町公園で裸になって騒いだとして、公然わいせつ容疑で逮捕されるという事件が起こりましたが、ビル関係者の間では事件前からSの二人のバカ騒ぎは有名でした。 二人(KさんとKさん)は東京ミッドタウンの敷地内で酒を飲んでは、芝生で裸になって大騒ぎすることが度々あったそうです。 ビル関係者は「敷地内で騒ぐの止めるように」と再三注意をしてきましたが、二人は聞く耳を持たずいつも突っかかって来るので手を焼いていましたが、警備員さんや管理職員の良心によっていつも注意だけで終わっていました。 事件当日もKさんは酒に酔って素っ裸でミッドタウン内の敷地で騒いでいたのですが、その日は運悪く一人で酒を飲み、しかも敷地外に飛び出してしまったのです。 いつもなら警備員さんが優しく咎めてくれて、何事もなく済んでいたのですが、敷地の外に出られるとビル関係者は若気の至りに対して注意もできません。 奇声を上げてブランコに乗っているところで警察官に注意を受けましたが、いつも警備員さんにしているように食って掛かり、逃げようとしたことが一番のミスとなったそうです。 逮捕されたKさんがもう一人のKさんの名をしきりに叫んでいたのは、東京ミッドタウンの芝地でいつも二人で酒を飲んで騒いでいたからで、酒飲み仲間に無意識に助けを求めていたようです。

新城島のザン(ジュゴン)神社・頭骨を持ち出した者は発狂する

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新城島のザン(ジュゴン)神社・頭骨を持ち出した者は発狂する 新城島は沖縄県の八重山郡竹富町にある、上地島と下地島の2島から成る島である。 人口10人程度のこの島に、立ち入ると災いが降りかかると云われる東御嶽(アーリィウタキ)、通称ザン(ジュゴン)神社または人魚神社がある。 鳥居の奥へは関係者以外は立ち入り禁止、カメラによる敷地内の撮影も禁止されており、鳥居の横に「島の住民以外立ち入り禁止および写真撮影禁止」の看板がある。 祟りの源泉・ザンの頭骨 [霊薬・ジュゴンの肉] 上地島と下地島の2島から成る新城島。 1778年(明和8年)に起こった「明和の大津波」で、1つの島が2つに離れたと言われており、両島が離れているゆえに地元では通称「パナリ」と呼ばれる。 その昔は、新城島の周辺海域にはジュゴン(八重山での呼び名は「ザン」)が生息していた。 人魚と同一視されていたジュゴンの肉は不老不死や安産の霊薬と珍重されて、琉球王府時代には新城島の住人はジュゴンを塩漬けや干し肉を人頭税として納めていた。 捕獲したジュゴンは、皮と肉は煮て日光にさらし、王に献上、そして頭蓋骨など骨は東御嶽、通称ザン神社に祭ったという。 ザン神社の入り口・これより先は立ち入りも撮影も禁止(Wikipedeiaより) [乱獲によるジュゴンの減少と豊漁への祈り] ジュゴンは権力者に献上される特別な食料であり、首里城発掘調査からその骨が発見されている。終戦後の食糧難の時期にダイナマイト漁などで乱獲されて、もともと数が少なかったジュゴンは今では姿を消してしまった。 琉球王朝時代、ジュゴンの肉は人頭税であったので、その捕獲に島民は必死になっていた。毎年多くの人手と時間を掛けてジュゴン漁を行っていたのであるが、それほど生息数は多くないので捕獲には苦心したという。 そして、ジュゴンは津波を引き起こす、もしくは津波の到来を予言する霊魚とも考えられていたので、その祟りの防止と豊漁を祈願して骨を島の東御嶽に奉ったということだ。 東御嶽での祭りは島民、その中でも本土の神職にあたる神人(かみんちゅ)が執り行い、一般の島民も聖地と考えられている場所には立ち入れないという。 当時の八重山地方の人々への人頭税の負担は相当厳しく、税の負担を逃れるために、あえて自分の手足を切る者や、妊婦殺しや赤子殺しのようなことが行われていた。 薩摩藩から