猿供養寺(サルクヨウジ) 事実だった人柱伝説
新潟県上越市板倉区猿供養寺 猿供養寺で「サルクヨウジ」と読み、由来は『寺野郷土誌稿』には以下のようにあります。 昔、山寺の観音堂に雄雌2匹の猿が熱心にお経を聞きに来るようになった。時に木の皮を持参し僧侶に写経をしてもらい、 猿はお礼に山芋を持ってきた。 ある時から猿が来なくなり僧侶が不審に思って探してみると、 山芋を掘る時に岩石が落ちて来て猿はその下敷きとなって死んでいた。僧侶は悲しみ川の両岸に2匹の猿を葬る。その川は猿俣川と呼ばれるようになる。猿を供養した縁をもって観音堂に大きな寺を建て 「猿供養寺」と名付けたという。 落石事故で死んだ猿を供養するための寺が猿供養寺となったということです。この土地は昔から地すべりに悩まされており、地滑りの危険を示す崩落地名として「サル」(ずれる)「クラ」(崩れる)などが用いられることがあり、「サルクヨウ」という言葉は「サル」「クレ」などの崩落地名が転訛した言葉だと考えられています。 事実であった人柱伝説 新潟県上越市板倉区猿供養寺では地すべりを止めるために旅の僧侶が自ら人柱になったという伝説があります。 人柱となった僧の遺骨と甕 昔、一人の旅僧が、信濃(現在の長野県)から黒倉峠を越えて、越後にやってきた。その途中で、大蛇が何匹も集まって相談しており「黒倉山から流れ出る大熊川や姫鶴川を、地すべりを起こしてせき止めて大きな池を作り、我々の住み処にしよう。」というものだった。 「もし、このことが人間に知られて、栗の木の杭を四十八叩きにして深く打ち込まれ、人柱を建てられたら、地すべりが止まってしまうので、知られないうちに実行しよう。」とも言う。 僧が驚いて震えていると、大蛇に見つかってしまった。大蛇は「今の話を聞いた以上は、ここを通すわけにはいかない」という。僧は他言しないことを誓う。そして大蛇に「もし他言すれば、命はないものと思え!」と脅かされて、命からがら猿供養寺の村にたどり着いた。 村は地すべりで荒廃しており、村を離散しようかと相談していた。哀れに思った僧は村人たちに大蛇の話をし、四十八叩きの秘法と人柱のことを教えた。それを聞いた村人たちは、さっそく四十八叩きは行ったが、人柱の人選はなかなかできなかった。僧は自ら進んで人柱になり、それ以降、地すべりはピタリと止んだという。 この話は、村人の間で語りつがれていたが、昭和12年