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月曜から夜ふかしで紹介 下田立野の正月に餅を食べてはいけない集落問題

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下田市立野地区では正月三が日には餅を食べない 下田市立野地区では正月三が日には餅を食べてはいけないとされる。この禁を破り餅を食べると火事に遭い、箪笥から火が出るという。 立野地区は下田市蓮台寺温泉の入口から稲生川が大曲りして囲んでいる中の瀬にある。 この地域の氏神様は子供の神様で、むかし氏神様が元日の朝お雑煮の餅がのどにつかえて亡くなられたというので、それ以来この部落の人達はお正月の餅を食べない事になった。 禁を破ると必ず「火ごと」に祟りにあう 立野の駐在所に転勤して来た巡査は始めてのお正月に「そんな馬鹿なことがあるものか。それに自分は他所から来たものだからかまわない」といって近所の人や家の者のとめるのもきかずお雑煮を食べた。2~3日して奥様が箪笥を開けてみると、中の巡査の服だけがあちらこちら焼けこげて着られないようになっていた。 そのため「氏神様のたたりだ。禁を破った罰だ」とうわさされた。その外にも「そんな馬鹿な事はない。」と強がりを言って餅をたべた者もあったが、その人のものに限って火のたたりがあったという話が残っている。 今でも立野の部落に住む人達はこのきまりを守っている。 月曜から夜ふかしで取り上げられる 静岡県・正月に餅を食べてはいけない集落問題という題で紹介される。立野地区では正月に餅を食べると神様に家を焼かれるという言い伝えが残っている。どこまでがOKでどこからがNGかを歴代地区長が検証。“もち米”は口の中で餅になるからNG。“米粉パン”はパンなのでセーフ。“餅太郎”は餅つきのイラストが描かれてるため今後の議題になった。 やおきんHPより

サザエさんのタマの声 殺処分前の本物の猫

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サザエさん一家の飼い猫のタマ。その声優は?と表記されており、放送開始から謎のままです。 一説によるとタマの声は本物の猫の声が使われており、しかも保健所で殺処分を前に恐怖で震える猫だったと言います。 サザエさん公式HPより タマの声はサザエさんのアニメ放送が開始された1969年よりも前にテープ音源として存在していたとされ、番組を制作するフタッフが保健所で猫の声をサンプリングしたものという噂です。 恐怖や不安で震える猫からサンプリングした声なので、鳴き声から動物の心理状態を解析する機械でタマの声を調べると「たすけて」と表示されると言われます。 関連記事 サザエさんとヒロポン -実は別の家族の話?- サザエさんの中島君 -両親は戦死/空襲の影響で弱視に-

猿供養寺(サルクヨウジ) 事実だった人柱伝説

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新潟県上越市板倉区猿供養寺 猿供養寺で「サルクヨウジ」と読み、由来は『寺野郷土誌稿』には以下のようにあります。 昔、山寺の観音堂に雄雌2匹の猿が熱心にお経を聞きに来るようになった。時に木の皮を持参し僧侶に写経をしてもらい、 猿はお礼に山芋を持ってきた。 ある時から猿が来なくなり僧侶が不審に思って探してみると、 山芋を掘る時に岩石が落ちて来て猿はその下敷きとなって死んでいた。僧侶は悲しみ川の両岸に2匹の猿を葬る。その川は猿俣川と呼ばれるようになる。猿を供養した縁をもって観音堂に大きな寺を建て 「猿供養寺」と名付けたという。 落石事故で死んだ猿を供養するための寺が猿供養寺となったということです。この土地は昔から地すべりに悩まされており、地滑りの危険を示す崩落地名として「サル」(ずれる)「クラ」(崩れる)などが用いられることがあり、「サルクヨウ」という言葉は「サル」「クレ」などの崩落地名が転訛した言葉だと考えられています。 事実であった人柱伝説 新潟県上越市板倉区猿供養寺では地すべりを止めるために旅の僧侶が自ら人柱になったという伝説があります。 人柱となった僧の遺骨と甕 昔、一人の旅僧が、信濃(現在の長野県)から黒倉峠を越えて、越後にやってきた。その途中で、大蛇が何匹も集まって相談しており「黒倉山から流れ出る大熊川や姫鶴川を、地すべりを起こしてせき止めて大きな池を作り、我々の住み処にしよう。」というものだった。 「もし、このことが人間に知られて、栗の木の杭を四十八叩きにして深く打ち込まれ、人柱を建てられたら、地すべりが止まってしまうので、知られないうちに実行しよう。」とも言う。  僧が驚いて震えていると、大蛇に見つかってしまった。大蛇は「今の話を聞いた以上は、ここを通すわけにはいかない」という。僧は他言しないことを誓う。そして大蛇に「もし他言すれば、命はないものと思え!」と脅かされて、命からがら猿供養寺の村にたどり着いた。 村は地すべりで荒廃しており、村を離散しようかと相談していた。哀れに思った僧は村人たちに大蛇の話をし、四十八叩きの秘法と人柱のことを教えた。それを聞いた村人たちは、さっそく四十八叩きは行ったが、人柱の人選はなかなかできなかった。僧は自ら進んで人柱になり、それ以降、地すべりはピタリと止んだという。 この話は、村人の間で語りつがれていたが、昭和12年