1928年(昭和3年)の秋の出来事である。
横浜市の電気局が生麦車庫引き込みの関係で、生麦事件碑の近くにあった松の古木2本と1本の榎(えのき)を伐採したときの話である。
初め計画が発表されると史跡を尊重する地域住民は拒絶反対を高く掲げたのであったが、この反対運動が霧消状態になると、電気局では鋭利な斧を2本の古松にあてることになった。
しかし、不思議なことに依頼を受けた2人の者が木を切り倒すと、得たの知れない熱病にかかって、45日の間に続けざまに亡くなってしまう。
そして、この仕事を監督した技術者も同じ病に臥し、すると間もなく松並木の払い下げを交渉した官僚も病気となり、伐採後の道路を整備した運転手も足に大けがをするという不幸が続く。
科学が進んだ現代において祟りなどと、高を括っていた役所の人たちもいよいよ恐怖を覚える。
また、生麦出張所では病人が絶えなかったり、けが人も頻出したりして、気を揉む者が多くなった。
ある卜占者(占い師)が生麦出張所の便所が鬼門にあたるとのことで、昭和4年の5月3日に100名程度の関係者が列席して、盛大な厄払いの式が催された。
この生麦の古松の祟りは生麦事件で切り伏せられたリチャードソンの怨念が松に宿っているとか、歴史ある松並木の古木を人間の都合で伐採したことによる祟りだともされた。

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