影取池とおおびゃく(大崩)伝説(多摩市唐木田2丁目・大妻女子大学 多摩キャンパス付近)

多摩市唐木田2丁目・大妻女子大学 多摩キャンパスの周辺には、かつて影取と呼ばれており、影取池という池が存在した。その池の水面の姿を映すと大蛇もしくはお姫様の幽霊に水中に引き込まれると噂されており、影取池と呼ばれていた。




その昔この北側には深い森と影取池がありました。旅人が水面に影を映すと姿を消してしまうので大蛇のしわざではないかとか、また南北朝時代に落城した小山田城を抜け出した奥方の浄瑠璃姫が十三人の侍女と共にここへ来て昔話に花を咲かせたあと入水したことの祟りではないかと噂されました。江戸時代にお坊さんを呼び供養をすると水面に雲がわき立ち、笑みをたたえた姫と侍女たちは昇天し村には平安が戻ったと言われています。※八王子市別所の長池にも同様な言い伝えがあります。(多摩 よこやまの道の碑『影取池伝説』)

おおびゃく(大崩)はがけ崩れを意味する

 落合のオオビャク谷戸の奥に影取り池とよばれる池があった。『武蔵名勝図会』には「影取池、小山田境の谷間にありしが、いまは水涸れたる由」とあり、伝承では嵐のために決壊したともいう。名の通り池に影が映ると水中に引き込まれてしまうといい、たとえば尾根道を歩いていても、朝日がさすと池の中に影が映って引き込まれてしまうと伝えられている。また、あるとき、男が、長くて黒い影が自分と同じ早さで動いているのを見たが、その男は行方不明になってしまったという。(多摩市史)

影取池の北側には沼沢と呼ばれた谷戸がかつて存在し、現在は大妻女子大学多摩キャンパスのグランド付近と思われる。大雨によって影取池の堤防が決壊し、山崩れのよって荒れてしまってからは「おおびゃく(大崩)谷戸」と呼ばれるようになったという。

大びゃく谷戸 

山崩れの事を当地の方言で「ビャク」という。昔、影取池の堤防が大雨により決壊し、 周囲の山が崩れて沼沢と呼ばれていた谷戸は荒れてしまったことから付けられたと(東寺方コミュニティセンター 大栗川・かるがも館運営協議会 広報誌)


びゃくとは「壁」「崩」「劈」と書き、崖崩れや山津波を表す南関東の方言である。

多摩丘陵のニュータウン計画で失われた「びゃく」 2項と3項で述べたように、多摩丘陵は戦後になって急激に宅地造成などによる大規模土地改変が開始されました。特に、多摩ニュータウン(稲城市・多摩市・八王子市・町田市の4市にまたがる面積28.8km2)は、昭和41年(1966)から宅地開発が始まり、極めて大規模な地形改変が行われました。このため、谷戸にあった「びゃく」などの小字名は消され、土砂災害の歴史はほとんど伝承されていません。多摩丘陵の地形・地質は土砂災害の起こりやすい地区であることを、地元に説明する看板を設置するなど、きちんと伝承していくべきだと思います。(いさぼうネット)

 
 

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