八幡知らずの森(番外編 千葉県市川)

 八幡知らずの森

「八幡知らずの森」は千葉県市川市に存在し、「一度入ると出られない」と伝わる不思議な森です。現在は小規模な藪となっていますが、かつては鬱蒼とした竹や木々が生い茂り、神聖な雰囲気に包まれていました。以下に、森にまつわる代表的な伝説を紹介します。





将門公の父の墳墓説

東葛飾郡八幡町(現在の千葉県市川市)には『八幡知らずの森』と呼ばれる場所がある。この森はわずかに三百坪ほどの広さで、背丈の低い竹が生い茂るやぶである。奥が見えるほどの小さな森だが、一度入ると二度と出られないと言い伝えられている。昔、水戸黄門が村人たちの話を疑い、このやぶに入ってみたが、やはり出られなかったという伝説がある。このため、長らくこのやぶに立ち入ることが禁じられ、村人も恐れて近寄らない。そのため、竹木は枯れ葉を積もらせ、落葉が降り積もったままになっている。周囲には木が植えられ、今もその伝説を守り続けている。

このやぶの中には、古くから小さな石祠がひっそりと建てられており、それについてもいくつかの言い伝えがある。一説によると、これは平将門の父である鎮守府将軍・下総守従四位のための祠だと言われている。将門の死後、この場所が神聖視されるようになり、いつしか村人たちも避けて隠されたため、誰もその存在を知らなくなった。そして、この場所について問う人がいても「知らない」と答えられるようになり、ついに『八幡知らずの森』と呼ばれるようになったとされる。

今ではこの場所に「不知八幡森」と刻まれた碑が立てられ、人々がその中に入らないように戒めているかのように見える。(伝説俗信趣味の国・日野碕弥彦 著)


将門公の父の墳墓説
千葉県東葛飾郡八幡町(現在の市川市)に「八幡知らずの森」と呼ばれる場所があります。わずか300坪ほどの広さで、竹が密生し奥が見通せないほどですが、一度入ると二度と出られないとされています。水戸黄門がその伝説を試そうとこの藪に入ったところ、やはり出られなかったという逸話もあります。

森には古くから小さな石祠があり、これが平将門の父のために祀られたものではないかと言われています。この森が神聖視され、村人も避けたことで「八幡知らずの森」と呼ばれるようになったと伝わっています。

将門公の6人の家来の墳墓説

「八幡知らずの森には、将門公の首を追って6人の家来の武士がこの森で土の人形になってしまったという伝説がある。

六人の武士の人形が砕けた森の土を踏むと祟りがあるという信仰があった。そのため、かつて水戸黄門が「そんな馬鹿なことがあるものか」と試してみたところ、突然、奇怪な者が現れたと伝えられている。現在でも「知らずの森」と呼ばれており、誰もが簡単に中に入れないような神聖な場所とされている。

おそらく、かつて将門公の首を奪い返そうとして殺された六人の家来を葬った場所であろうと考えられる。(迷信の話・沖野岩三郎 著)」


将門公の六人の家来の墳墓説
「八幡知らずの森」には、平将門の首を守ろうとして六人の家来が犠牲になり、この森に葬られたという言い伝えもあります。六人の武士がこの森に眠る土を踏むと祟りに遭うと信じられ、水戸黄門が試みましたが、奇怪な出来事に見舞われたとも伝わります。この森は簡単には立ち入れない、神聖な場所として恐れられてきました。

八幡知らずの井戸美人

「八幡知らずの森林の中には井戸があり、もし人が近づくと中から美人が現れる。

そして侵入者の手を取ると、井戸の底へ引きずり込む。そうすると二度と戻ってくることはできないとされる。想像するにこの井戸は天然の毒井であって、自然に毒気(有毒ガス)を噴出しているものと考えられる。摂州有馬に鳥地獄と呼ばれる噴泉があり、古来より恐れられてきたが、化学分析の結果、単なる炭酸泉であった。噴泉の上を飛んだ鳥が落ちるのは炭酸ガスによるものと思われる。

八幡知らずの森の井戸も炭酸泉のごとく、人の呼吸に有害な気体を噴出し、そばに居る者はこの毒気を吸って井戸の中に倒れ込むのであろう。美人が出現するという話は小説的に創作された話の類であろう。(真怪・井上円了)」


八幡知らずの井戸美人

八幡知らずの森には井戸があり、近づくと井戸の中から美しい女性が現れ、手を取られると井戸の底に引きずり込まれるという話もあります。これは有毒ガスを含む「毒井」と推測され、人々がその毒気で倒れ込むと考えられています。

井上円了は井戸美人は毒井から生まれた伝説であろうと推測しています。


お祭りの興行としの八幡藪知らず

「私はよく言うのであるが八幡の藪というものがある。千葉に行く途中の市川に先のところにそれはある。その藪は一町四方かそこらしかないけども、その中に入ると出られないという。外からは見えているけれども中に入ると道を間違えてとうとうその中で死んでしまうという。

私が幼年のときに出身地のお祭りで八幡の藪というがあったのを覚えている。竹を切って藪のようなものを拵えて、同じような道をたくさんつくってある。うっかり入ると同じようなみちがあるものだからぐるぐる回ってしまい、いくややっても出られない。それを巧みに出ると景品がもらえるという。

時間で測って、入ってから10分間で出られたら浴衣を一反やるとか、30分間掛かった者には手ぬぐい一筋、半日掛かっても出らない者には木戸銭ただ取りというような仕組みである。

また、どうしても出られない者には途中に番人がいるので「自分はどうも出れないから手を引っ張ってくれぬか」といえば「えー宜しゅうございます」と言ってすぐに藪から出してくれる(日蓮聖人聖訓要義 巻1・本多日生 著)」


八幡藪知らずの民間興行

八幡知らずの森の迷宮を模した「八幡藪知らず」が祭りで再現されることもありました。竹で囲われた迷路状の藪を作り、そこから脱出するまでの時間を競うイベントが行われていました。





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